【ドメーヌ・マニエール】
ドメーヌ・マニエールはヴォーヌ・ロマネに5代続く生産者。1795年から同じ場所(ロマネ・コンティ社のはす向かい)に居を構える。第一次世界大戦後、ドメーヌはいくつかの畑を失ったが、現当主のリシャールの祖父と父が1970年から畑を広げ始めた。リシャールの母エレーズはヴォーヌ・ロマネの名門「ノワロ家」の銘醸畑を持ってマニエール家に嫁ぎ、ドメーヌ名はドメーヌ・マニエール・ノワロとなった。母エレーズのノワロ家はヴォーヌ・ロマネ最大の土地の所有者のひとりだった。エレーズはエシェゾー、ヴォーヌ・ロマネ・ジャシェ、ヴォーヌ・ロマネ・レ・スショ、ニュイ・サン・ジョルジュ・レ・ダモードを相続し、さらに姉の相続した畑をフェルマージュ(賃貸)契約した。
マニエール・ノワロ時代、パーカーは「熟成力のある凝縮したリッチなブルゴーニュを手掛ける」とコメントし4つ星評価を得ている。特にエシェゾーは、このアペラシオン最上の区画と評されるレ・プーライエールのほぼ中央と、絶好のロケーションを誇っている。両サイドがロマネ・コンティ社の所有区画のため、同社から長年に渡って畑の交換が持ちかけられているが、ロマネ・コンティ社が交換を打診する区画は、面積は大きいもののレ・プーライエールの北端にあり、畑としては劣るため、その要望に応じるつもりはないという。
優れた畑と評価がある一方、これまで無名の存在だったのは、ワインの大半をネゴシアンにバルク売りしており、ドメーヌの名を冠したワインが市場に出ることが非常に少なかったからだ。しかし、そのクオリティに感銘を受けたブルゴーニュのワイン商が「絶対に元詰めをしてドメーヌの名前でワインを世に出すべきだ」と、現当主のリシャールを説得。ようやく元詰め本数は増えたものの、その内9割がフランス国内で消費されてしまうため、国外で彼のワインに出会う機会は非常に稀である。
2005年にドメーヌ名はマニエール・ノワロからリシャール・マニエールに変更され、2021年に娘のジュリがドメーヌに参画したのを機にドメーヌ・マニエールに変更した。黙々と畑仕事に取り組むリシャールは「畑で生まれ、畑で死ぬ」という生粋のヴィニュロン。畑はリュット・レゾネ栽培で、同村の醸造家たちが「ブドウ畑ではなく庭園だ」と評するほど、彼の畑は完璧に整っている。醸造はヴォーヌ・ロマネ村の中心にある年季の入ったセラーで行われる。収穫後マセラシオンを行い、ステンレスタンクでアルコール発酵。ワインは全てバリックで長期間熟成させる。緻密な畑仕事と伝統的なワイン造りから生まれる彼のワインは、畑の良さがダイレクトに伝わってくるピュアな美酒である。
追記:2017年ドメーヌは転機を迎えた。母エレーズの姉ルシエンヌの所有する畑のフェルマージュ契約が満了となり、エシェゾー、ヴォーヌ・ロマネ・ジャシェ、ヴォーヌ・ロマネ・レ・スショ、ニュイ・サン・ジョルジュ・レ・ダモードなどの畑の一部を返却することになった。契約満了を機に姉ルシエンヌの2人の息子が新たなドメーヌを設立することになったからだ。そのドメーヌが今ブルゴーニュファンから熱い注目を浴び、カルト的人気誇るボワジェ・フレールだ。そう彼らの畑は長年リシャール・マニエールが手掛けていたものである。当然畑も隣接している。2018年からドメーヌ・マニエールの生産量は減ったが傑出したクオリティは変わらない。しかも価格は同じ畑のワインでもボワジェ・フレールよりはるかに安い。
【ヴォーヌ・ロマネ・レ・スショ】
ヴォーヌ・ロマネを代表するプルミエ・クリュの一つ。樹齢約75年の古樹。リシュブールやロマネ・サン・ヴィヴァンなどグラン・クリュに囲まれている畑。ふくよかなベリー系果実や甘いスパイスのフローラルな香りにバニラのヒント。ヴォーヌ・ロマネらしい優美な果実味と柔らかなテクスチャーが美しい1本。ステンレスタンクで発酵、バリック18カ月熟成。新樽率100%。赤/1級畑